何かの予言か私の見た夢がとにかくすごくてビビる。
2024年3月9日の夜かな。いつものように普通に床に入り眠る。3月10日の朝方くらいだろうか、私は衝撃的な夢を見た。今までにこんなに意味深で、何かメッセージ性のありそうな夢は33年生きてきた人生の中でも今まで見たこともなかった…
とにかくすごすぎたので、夢から目覚めた瞬間に「これはメモっておこう」と夢の中の情景一瞬一瞬を思い出しながらスマホにメモを取り始めた。
思い出しながら、そのとき私の心情も書き留める。メモしてる最中もこの夢はなんなんだと、不思議すぎて恐怖を覚えるほどだった。
ここからは夢の内容と、その夢を見て私が感じたことを書いてるので、全て読み終わった後であなたが何を思ったか、、、もしよければシェアしてもらえたら嬉しい。
さあ、とりあえずどんな夢だったのか、、、
これから話していこう。
穏やかな普通の1日からの逆転
穏やかなとある日。季節は夏かな。天気は雲ひとつないくらいな晴天。
いつものように太陽がキラキラとまぶしく地球を照らしてくれている。
(下の画像のように太陽のサンサン具合は近いんだけど、もう少し雲少なめで山はそんなになくて、道路の横にすぐ緑がある感じではないけどもすぐ海という感じでもなく・・・)
写真は2車線だけど、3~4車線くらいあるような大きなハイウェイを通っていた。
わりと高めのところを走ってて、景色を見下ろせるかなみたいな感じ。
なので上の写真の太陽の光りが差す感じと、下の写真のような青空の下の高速道路を走ってるイメージが近いかな。
場所は日本か海外かはわからないが、いつもの見慣れた景色ではなさそう。
車は何故か外車ぽくて、運転席が左で私は右の助手席に座っている。私の左横で運転してくれてるのは恐らく私の友達で男性。
誰だかハッキリとはわからないが、2人でどこか目的地に向かって車を走らせてる、なんともない平穏な夏の日。
目的地がどこだかかはわからないが、どっかに向かって車を走らせている。
そうすると遠くの方に綺麗な光の線が目に見えてくる。
高い天から地上に向かってやや斜めにピーンと真っ直ぐ伸びる太めの光の線で、黄色と白の間の太陽からの日の光に似ている。
「なんだろうね?」と言った次の瞬間、下の方から強烈に大きな球体(どこかの星か?)がどんどん上に上がってくのを目にする。その球体の色は太陽と似てる。
「見て見て、あれ何?」
そんなことを言って指差してみたが、「太陽じゃないよね?だって太陽はあそこにあるじゃん?じゃあなんかの星?」
などと話をしている間にも大きな球体は上昇していき、太陽とその球体は重なる。
重なって気づくが、球体は太陽50個分以上くらいの大きさのものだった。
不思議、、、変なの。
と眉間にしわを寄せた次の瞬間、乗っている車がおかしくなってきたのに気づく。
だんだんスピードが恐らく落ちてきて、車の向きが勝手に反対になり逆走。
もう何が起こってるのかわからず、怖くなりひたすらに叫ぶ。
逆走してるのは私たちの車だけでなく、周りの車も同じく。
ぐんぐん車間距離が詰められていて、前の車とぶつかるんではないかと思う距離感に。
死ぬのではないか、この世の終わりかと思いながらも「大丈夫、こういうことが起こるってことは何か必ず意味があるはずだから。なるようになる」と心の中で自分に言い聞かせ冷静を保とうと必死で目をつぶる。
音もせず、車が最終的に前の車とぶつかったか何が起きたのかはわからないまま…
次に目を開けた瞬間、、、景色が違いすぎた。
なんだこれは、どこなんだこれは…
過去にタイムスリップしたか?…いや過去に戻ったわけではなさそうな。
ここは日本ではなくどこか海外?東南アジアか?と思い起させるようなアジア系の人種がたくさんいる。いかにも裕福とはかけ離れている身なりの人たちだらけ。
ボロボロな服にボソボソの髪の毛、何か困った表情や険しい顔つきの人たちがたくさん。周囲を警戒するような目つき、、、
場所はどこかの小さな街の病院のよう。
薄暗く、混沌としていて、とても心休まるような空間ではない。
なんて表現したらよいだろう。とにかく良い空気でないのは間違いない。
一体全体何が起きたのか。。。
それはわからぬまま。
気づくと向こうで一緒の車で運転してくれてたはずの友達のご両親か親戚な誰か親族の方だろうか。女性(たぶん誰かのお母さん?)が幼稚園か小学低学年くらいの年齢の女の子の手を引き歩いてるのが目に映る。
もう姿を変え、小汚い格好で人相もこわばってしまっていて、、、必死そうに少しガミガミしながら歩いている。もう誰も信じないような顔つきもしていて、目も合わせようとしないというよりも周りが見えてないという表現が近いかもしれない。悲しみと、なんらかの憎しみも混じっているかのような。
この人はもっと温和で心豊かな人だった…はず(どこかで面識があるような記憶があった)。
環境や周りの人が変わるとこんなにも人は変わってしまうのかと。衝撃で言葉を失う。
他方で、恐らくこちらもまたどこかで面識があるような、誰かの知り合いとか親族のような方(女性)が治療台の上に載せられていて呼吸が困難な様子でいる。意識はありそうだが、お医者さんと看護師さんからは何度も「喋らないで!」と言われ体を抑えつけられている。にもかかわらずすごく何かを伝えたそう。何度も言葉を発しそうになっては吐きそうな苦しそうな様子で、言葉を発せられないもどかしさがある。暴れて押さえつけられ、暴れては押さえつけられの繰り返し。
何を誰に伝えたいのだろう。そして何故こんなにも伝えられない状況になってしまっているのか。
この女性が発したい言葉が何なのか、私はずっと立ちすくんで見ていただけ。
結局この女性が伝えようと起き上がろうとして看護師さんたちが抑えつけてを繰り返されるだけのシーンのまま、私は夢から覚めた。
何だったのか多くのことがわからなすぎて、疑問だらけのまま朝を迎えたのだ。
この夢を見ての感想
こんな濃い夢は今後見ることがあるだろうかというくらいのものだったのと、夢占いとかも信じるタイプなので、この夢から私は何を得るべきなのか、、、すかさず振り返ってみることに。
私は何故この夢を見たのか。
この夢からのメッセージは何なのか。
私はこの後どうしたらいいか、何か見直すべきことがあるのだろうか。
友達何人かにこの夢について話してたら、
「それってもしかしたら今後起こると言われてる世界経済破綻や、2025年7月に彗星が地球をかすめると言われてることと関連してるかもよ」
と言われた。
正直その言葉を聞いたときは目を見開いてしまった。夢で見たような、平凡な日々が一瞬して困窮で重たい悲しみあふれる世界に変わってしまう日が来ると考えたら恐怖でしかなかった。でも一旦今の社会がリセットされて縄文時代のような時代がやってくるとは耳にする。
世界経済破綻はもうすでに始まってると言われ、1日1日じんわりと私たちの生活に近づいてきている。2025年7月の彗星の話は、彗星が地球に近づくことでの引力の影響で何かしら地殻変動(地震、津波、噴火とか)が起こる可能性も秘めているかもしれない。
見た夢がまさにそのことと何か関連しているとしたら、相当怖い。
けど恐怖の反面、縄文時代のように地位や名誉関係なく、争いもない平和な時代が来て、物々交換とかで成り立つ社会が形成されるのであれば、それはそれで興味があるし楽しそうで少しわくわくするのも事実。
とりあえず、鈍感すぎる私には受け取るべくメッセージがわからないままで時が過ぎていってしまうかもだけど、夢を見た直後に自分なりに考えて思ったことをシェアさせていただこうかと。
亡くなったおじいちゃんのこと
おじいちゃんが他界する数日前。入院してた病院で、病院が嫌で家に帰りたくベッドで暴れていた(らしい)おじいちゃんを思い出した。私が聞いた話なので記憶が明確ではないが、暴れるので手を縛られていたよう。
会いに行けばよかったな、おじいちゃん。というかそもそも入院していたことも知らされていなかったから会いに行こうという考えにすら当時なってなかったんだけどね。
旅行をしてて行けなかったのも悔やまれるし、旅行をやめて帰省にすればよかったのにと。
今思えば、いつものおうちに帰りたかったよね。知らない何も思い出もない部屋で居心地も悪かっただろうに。最期を過ごすのは愛着のある家族や親族の写真がいっぱい飾ってある思い出いっぱいのおうちがいいって、思ってたのかな。
いつもの日常に戻りたい気持ちは、この夢に出てきた人たちやそれを見て私が感じた感情と重なる部分がある。そう考えると、日常ってすごく安心感のある居場所であり、私たちが普段気づいてないけどもものすごく大切な空間なんだと思う。
当たり前は当たり前でない
日々に感謝し、何気なく一緒に過ごす人との時間をもっと大切にしなさいというメッセージなのか。この夢のように、いつもの日常が一瞬にして地獄のような世界に変わる、、、そんなことが起きる日が来るのであれば、もっと今できることに必死に、そして感謝すべきことや人に感謝の気持ちを示しながら生きるべきと言いたいのかもしれない。
ピッとボタンを押しただけで追い炊きができるお風呂。
蛇口をひねったら出てくる水やお湯。
コンビニやスーパーに行けば当然のように手にいる食べ物や飲み物。
待ち合わせをして普通に楽しくカフェや居酒屋で気の合う仲間との時間を過ごせること。
全部日常すぎて、振り返って感謝をすることを忘れてしまいがちだけど。
ここにきてそういった1個1個の物事に感謝を示して生きるべきというメッセージを送ってくれているのか。
周りの環境や人が変わることでの影響
豊かな生活から一転。貧乏な生活へ。
経済的余裕は心の余裕を奪う。余裕を失うと人は悲しいほどに変わってしまうことがある。
仕方がない、といえばそうなのかもしれないしわからないけど…
とっても優しく温和な人だったのに、こんなにも怖い顔つきでイラついてる人になってしまったり。とっても明るくて元気なムードメーカーのような人が無表情で目がどこか行ってしまってたり。。
こういった変化は、一度起こると元に戻すにはある程度の時間がかかる気がしてる。
自分はどう居たいか。もちろん余裕を失いたくないのは前提としてあるが、経済的余裕を失っても心の余裕だけは失わず、笑顔で前向きに生きていきたい。社会に対して、または自分に対しても不平不満はあるだろうけども、涙があふれてきても嘘でもいいから作り笑顔でもいいから「最高!絶好調」って言えるくらいのメンタルが欲しい。言霊は信じるので
言葉に発するものは現実になる。
笑顔でいたら楽しい・嬉しいことが舞い降りてくる。
これらは今までの実体験からいえること。
自分と周りの大切な人たちとは笑顔でピンチも楽しめるくらいの空間をつくれる人間になりたい。その為にたくましい心と体をつくっていかないとなと。
絶対に負けない。お金がなくても。仕事がなくなっても。全部プラスに捉えてやる!
雑草のように、踏まれても踏まれても立ち上がる強さを持って地に足つけて。私は必ず生き延びる。そして私の大切な人たちも。
ってなんか改めて思ったよね!
必死に何か伝えたそうなあの女性
何を伝えたかったのか、あの女性の口から出る言葉は結構キーポイントな気はしてるんだけど未だ謎に包まれたまま。
何を訴えかけようとしてたのか。
何かを守ろうとしてたのか。
死にそうなのに命をかけてまで伝えないといけないことがあったのか。
何か自分だけが知ってる秘密を伝えたかったのか、、、
これを日常に落とし込んで考えたときに、私は誰か何かに耳を傾けてその声を聴きなさいというメッセージなのかと。「傾聴」が足りてないということなのか。
傾聴って「耳+目、心」だから、体全身で聴くってことなのよね。
それができてないよって教えてくれてるのかな。
だとしたら、私は誰の何の声にもっと耳を傾けないといけないのか。
支配されている私たち
あの夢の中で、謎の光が見えて大きな太陽のような球体が目に入った後くらいからは、まるでテレビ画面の中のゲームのような非現実性にあふれていた。誰かがコントローラーを持ってて、私たちを動かしているかのような、車が逆走してるシーンからは私たちは動いているんじゃなくて、確実に動かされている感覚だった。
何故だ、、、
知らぬ間に支配されているような。何が目的でこんなことになっているのか。
あたかも自分がゲームの中の駒のような存在で、操られている感覚に近かった。
でもそれはこの世界の仕組みと同じ。権力のある者がない者を管理・支配しコントロールする。都合の悪いことがあれば隠すし、都合の良いように考えて選択をする。だから権力者が知っていて私たち一般ピーポーが知らないこと(知らされてないこと・騙されてる?こと)ってどのくらいあるんだろう。
でも私たちも実はもしかすると無意識レベルでやっちゃってるかもしれないことでもある気はしてる。
自分に都合が悪くなれば嘘をついたり。テレビゲームやアプリでのゲームとかしてて負けそうになったり失敗しそうになったらリセットして最初からやり直そうとしたり(笑)それで他人に迷惑かけないなら全然いいかもだけど(笑)
もうちょい真面目な話をすると、家庭、学校、会社、なんらかのコミュニティや組織の中で権力のある者たちが自分たちの思い通りに弱い者を管理しコントロールする、、、そういう場面はたくさんあるんじゃないかと思う。
先生が生徒に無理やり勉強させようとしたり。(個人的に私も英語講師をやってるのでいろいろ思うことはあるし、「させる」の受動ではなく能動的にするのが難しく感じてる。先生という仕事は特に義務教育に関してとても大変だと思っていますが全ての先生がそうだとは思ってないです。先生って生徒のモチベを与える・自分から勉強したいって思わせるのがたぶん大事で。親もそうかなーって。でもゴニョゴニョ言ったけど、最終的に「やる・やらない」はその人の問題であって、責任はいつもその人にあるものだとは思ってます。話逸れた(笑))
他には私たち人間が住みやすいように森林を伐採し建物を建てたり。
これはお金になると、自分たちの利益にしか目がなく勝手にプランを推し進めようとしたり。
いつの時代もどこの生物でも何でも、力の弱いものは強いものに勝てない。
極端な例だが、私たち人間がどれだけの生き物を苦しい目に合わせてきたか、殺してきたか、、、考えたことがあるだろうか(虫や植物とかも含めてね)。これは中学生の頃の私の日記にも書いてあるんだけど、人間はどれだけの殺虫事件を犯してきたのかと。殺人事件はニュースになっても殺虫事件はニュースにすら取り上げられない(ちょっと頭おかしいこと言ってるかと思われるかもだけど。中学の頃の私はそう考えてたみたい)
彼らも立派な生き物。でも私たち人間は彼ら(その生き物たち)が何も声を上げないからといって彼らの日常を奪い、環境を崩壊し、それでいて何ともない顔をして過ごしてる。
ちょっとそれは違うんじゃない?って思う方もいるかもだけど、
私たち人間がやってることってそれと似てるようなことなんじゃないかなとも思ったり。でも結局さ、それでも生き延びる生き物は生き延びるんよね。だから結論その生き物たちみたいに私たちもなればいいだけなのかもしれない。
シンプル。
最後に
何かが変わろうとしてるサインなのか、
何かを変えろというサインなのか、、、
どっちかというよりもどっちもなのかもしれない。
もう一度寝たら、夢の最後に出てきた病院のベッドで息が思うようにできずに苦しんでたあの女性の伝えたい言葉を聞くことができるだろうかとも思ったが怖くて二度寝はできなかった。
この夢からあなたは何を思うだろうか。
世界経済破綻や2025年7月の彗星が地球をかすめる話と何か関係あるのだろうか。
あまり多くの人に共有してこなかった夢なんだけど、いろんな人に話していくことにした。
同じことを聞いても抱く感想は人それぞれ。私のこの夢と夢の感想を聞いて、感じたことを気軽にシェアしていただけたら幸いです
おわり。